風のいちにち

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ナニがナンだか 

2013.03.22


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     うっすらとした春の気配に誘われての散歩途中に思わずシャッター押した。

     ええとこの感じ、何かに似てるんだ。 なんだったっけーーーと考えてたら思い出した。


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     こちらの、


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     お背中の感じ。 去年の5月に訪れた青森県立美術館 ( ココ ) の「あおもり犬」の。

     似てない?似てないか。 まあいいですけど。


 
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    下から撮ったらこんなふう。 もうナニがナンだかわからない。




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板ガラスのころ 

2011.04.28

     大荒れだった冬が、残していったもの。


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     そういえば小学生のとき、部屋の壁に向かって逆立ちの練習をしていて

     勢いよく振り上げた足が長方形の壁掛け時計のガラスにつっこんで

     スパーンと綺麗に足の裏を切ったことがありました。 

     しばらく忘れていたけれど、ガラスの切れ味って鋭いんだった。 そんなことを思い出すと、

     とうに消えたその傷跡がじんじん痛む気がします。 

     イテテテテ。






プールの時間 

2010.07.16


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     昔々小さいころに通っていた四国の学校ではスキー教室がなかったように、

     雪国の学校にはプールなんてないと思ってた。 

     札幌にいたころ、友人にそう聞いた気がしていた。 ないのが当然という風だった。

     雪国育ちの友人たちが、コンビニ行くみたいに軽々と 「ちょっとスキー行ってくる」 って出かけるのを

     平気な顔して、でもほんとはすごく羨ましく見送りながら

     「まぁ、許してあげよう。 だってみんなの学校にはプールなかったんだもんね~。」 と

     自分を納得させていた。

     なのになんとこの町の、この小学校にはプールがある。 しかも屋外に。

     大人げないのは十分承知で私は内心 「ずるいなぁ」と思う。

     冬は思い切り雪で遊ぶ術を知っていて、夏は夏でちゃっかりプールで泳げるなんて。

     冬の朝にはカチンカチンの氷が貼って、川からきた鴨が遊んでるとこだよー、そこ。



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     むんと湧きあがるカルキの匂い。

     ツーンと沁みる鼻の痛み。 跳ね上がる水の音。 前を泳ぐ友達のバタ足。

     シャワーの足もと。 コンクリートが乾いていく音。 充血した眼。 あとの授業のけだるいこと。

     全部が全部、懐かしい。 

     もうちょっと、傍に行ってもいいかな。


出会いはホーチミン 

2010.05.18

         
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     深夜をまわってからふと思い立って小さな緑の芽の写真を撮った。

     一週間まえに種をまいたコリアンダーの成長が、ここ数日の陽気で加速度を増していて

     プランターをのぞくたびに笑ってしまうほど面白い。

     朝になってこの写真と比べてみれば、成長ぐあいがはっきりわかる、そう思って撮ってみた。


     
     香菜 = コリアンダー = シアンツァイ = パクチー の洗礼を初めて受けたのは、

     ずいぶん昔のことだ。

     二十歳そこそこ、東京、日本橋のとある旅行会社で嘱託勤務をしていた頃。

     ある朝出社すると、机の上に大きく新聞を開いていた同僚がふいに顔をあげて

     「ベトナム、行かない?」と言った。 彼女とは特に親しかったわけでもないのだが

     私は「行く!」と即答した。 自分でも少し、びっくりした。

     特別その国について興味があったわけでもない。 その当時ベトナムはおそらく一般の

     観光客を受け入れていなかったと思う。 それが未知からの甘い誘いのように思えて、

     その旅が民間交流を目的としたNGOの主催する船旅だとか料金がいくらだとか、

     期間はどれくらいとか、そういうことを何も聞かないうちに本能の赴くまま飛びついた。 


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     あれは9月の初めだったか。 同僚と共に神戸から出港し、数日間を船の上ですごしてようやく

     文字通り地に足をつけてホーチミンの町を歩くあいだ中、私はまるで自分が有名人になったか

     のような錯覚に陥っていた。

     360度見回す限り、こちらからは遥か遠く米粒大にしか見えない人を含め、視界に入る

     ひとたちみんながみんなこちらを見ている。 これはなかなかしんどいものだった。

     だが仕方ない。 こっちがあっちを見るのが初めてなら、あっちにとってもこっちの存在は相当

     珍しい時代だったのだ。

     そして無論、現地の食べ物は外国人の舌になど合わせていないから一切容赦がない。

     現地の人たちの口には入らないほどの高級な食事だと容易に想像のつくホテルの夕食の

     豚肉にも、 サラダにもチャーハンのようなものにも、すべて同じ匂いがした。

     それは衝撃。 異臭といっても過言ではなかった。

     その強烈な匂いの元が何なのか息を殺して注意深く観察すると、すべての料理に

     同じ小さな緑の葉っぱが乗っていた。 それが原因であることに気付いた私は、

     お行儀よく添えられているものはもちろん、ご丁寧にも刻まれてまぎれこんでいる細かな

     緑のかけらも注意深くひとつずつ取り除いてから、用心深く口にした。 しかし、それは無駄な

     抵抗だった。 青臭い匂いは料理だけでなく、周りをとりまく空気にもしっかり沁みこんで

     濃くなまぬるく漂っていた。 

 

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     ボトルのコーラも知っているコーラ味ではないし、そう思ってしまうとペットボトルの水すら

     青臭かった。 逃げてばかりではダメだと思い直して、翌朝に町の露天ですすった

     葉っぱてんこもりのフォーもなかなかなじめず、食べ終わったその足でとなりの 
     
     露天で初めて見るフルーツを買い、渡る人の誰もいない橋の上に座って足をぶらぶらさせながら

     ほおばった。 むせるように甘いライチの味に、違う国に来たんだなぁと改めてしみじみしていると、

     いつのまにか現地の人たちにぐるりと取り囲まれ、友好的に、観察されていた。

     あわててファンサービスに不慣れなデビューしたての芸能人のような笑顔を

     振りまきながらその場を後にした私たちが振り返って見たその橋は、今にもくずれそうな

     ボロボロな、土でできた橋だった。

 
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     そんな漫画みたいな旅をしているあいだは香菜のことなど一瞬たりとも美味しい、また食べたい

     などとは思わなかった。 その葉の名前を知ったのさえ、日本に帰ってしばらくしてからのこと

     だったのだが。

     なんということか、今や私は、香菜が大好物なのだ。 どれくらい好きかと問われると

     (そんな質問は実際誰もしないのだが)、いつもこう答えることにしている。

     「添い寝してもいいくらい、好き」。
 
     何がきっかけだったのかそれは全く覚えていないのだけれど、以前「異臭」と呼んだキツい匂いは

     今や「身体の中を浄化してくれるようなかぐわしい香り」に昇格している。 あれからどれほど

     積極的にタイ料理やベトナム料理を食べたことか、数えることができないくらいだ。

     大好きな大好きな、香菜。 でも残念なことに私の住む町では、手に入れることはできない。

     だから種から育てて、その成長を日々楽しみにしている。


     ふと、あの日、旅の途中から友人となっていた元同僚の提案で

     ホーチミンからお互いの日本の住所にあててハガキを出していたことを思い出した。

     そんなことをしたことも懐かしくて照れくさい。 若かったなぁ。

     改めて見たその消印の古さにおののきながら、そして
 
     「わたしはいまホーチミンにいます」

     なんてコリアンダーばりに青臭い言葉にも照れながら、葉っぱが育ったらまずはひとくち口に入れ

     そうして甘くてすっぱくて辛いトムヤンクン。 そうしようと決めている。

 
     
      
        

さくらの季節は少し苦い 

2010.04.02


     東京で過ごした最後の数年間は、都心の、緑あふれる大きな公園のそばに住んでいた。

     家から職場までは電車に乗れば10分、公園を抜けて歩けばたった30分だった。

     緑が多くて通勤が楽。都会にいながらにしてそんな場所に住むことは長いあいだの

     憧れだったので、部屋の広さや日当たりや月々の経済的な負担と引き換えに

     その場所を選んだ。

     毎朝毎晩繰り返される、あの殺人的な満員電車ともおさらばだ。

     光を浴びたければあの公園に行けばいい。

     自分にできるだけの精一杯だった。 もうそれ以上、求めるものはなかった。 
    

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     その場所に越してから、私は恵まれた環境を堪能すべく頻繁に徒歩通勤をした。

     豊かな木々がつくりだすほとんど森のような空間のおかげで、ことに朝の空気は清々しかった。

     広大な敷地でジョギングするひと、犬の散歩をするひと、自転車で駆け抜けるひと、

     ベンチで休むひと、発声練習をするひと、そして私のように公園を抜けて職場に向かうひと。

     それも朝はまばらで、私は冷たくて透明な空気を胸いっぱいに吸ってから

     雑踏の中に突入して行った。

     春にはチューリップを横目でみながら、赤や黄色の小さなバラがつくるアーチをくぐった。

     青くひろがる芝生は、夜のうちに水分をたっぷり含んで光っていた。

     夏には噴水に虹が浮かび、秋は空高くまっすぐのびた銀杏の木々の間からまっすぐ

     降り注ぐ光の帯の中、靴の汚れを気にしながらも黄色のじゅうたんの上を大股で歩いた。

     冬の朝はひとの数はさらに減り、ぴんと張った空気の中を息を白くして走るランナーを

     目でおいかけながら少し速足で通り抜けた。

     もちろん徒歩通勤しなかったときもある。

     それは寝坊したとき、日傘をさしても5分で汗が噴き出す真夏日、嵐の日、

     そして3月後半から始まるお花見の季節だった。


     公園の木々の緑がこれ以上望めないくらい濃くなって匂い立ち、桜のつぼみが

     膨らみ始めると、私は心躍る半面少しずつ憂鬱になっていった。

     またあの季節がやってくる。

     初めての年は、何事があったのかと目をうたがった。

     あれは3月後半だったか、暖かい週末が明けた月曜日の朝、いつものように公園の

     門をくぐってゆるやかな坂を上り、アスファルトの歩道を避けて土の感触を味わいながら

     木立を歩いていると、いつもとは違った不穏な気配が漂ってきた。

     いや、ほんとうは門をくぐったときから感じていた。 気付かないふりをしていただけだ。

     いつもはそこにないはずのもの、まわりと決して交わることのないもの、それがひとつまたひとつ

     目に入っていた。


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     風にころげて走る白いビニール袋、ちぎれた紙袋、空のペットボトル。

     そういうものが朝のぼうっとした頭の中で少しずつ現実味をおび、やがてはっきりとした

     存在になっていく。 歩く視線の先、ゴミ箱があるはずの場所を見上げる山のピークとして、

     無数のひしゃげた白茶色赤黄色の紙袋やビニール、空き缶、びん、紙コップ、割り箸、

     食べ散らかされたゴミゴミゴミ。 週末の宴の残骸。

     風でとばされたのか、それとも昨日の夜からそこに放置されているのか、そういうものが

     大量に、静かな朝の公園に散乱している。

     それは、小さく可憐な白やうすいピンクの花を満開にした桜の木々の下、みるも無残な

     風景だった。

     普段は遥か上から遠巻きにこちらを見下ろす、この公園をねぐらにしているカラスたちも

     もはや人の気配に臆することもせず堂々と地上に降りゴミの上で騒いでいる。

     いつもは見かけないグレーの上下を着た人たちが、これから何時間かかるのか

     わからない果てしない清掃作業に没頭して黙々と行ったり来たりしている。 

      一年のうちで、この季節だけが醜悪だった。


     こんな有様の中でも、桜の木々はいつものようにただ静かにおおらかに根を下ろし、

     今にもこぼれそうな満開の花を抱いている。 私はといえば、心の中は激しく波立って

     とても平常心ではいられない。

     清らかなものと、そうでないもの。

     そうでないもの。 人間である私は、まちがいなくそっち側だな。

     混乱する頭の中でそんなことが浮かんでは消え、逃げるように急ぎ足で通り抜けた。 

     そういう現実を直視することが耐えられなくて、翌日からそして翌年から、この季節は

     公園に近づくことをやめた。

     キタナイものにフタをするように公園に続く道を避け、たくさんの人と車に混ざって

     駅への道を歩いた。 息をひそめ、ただじっとその喧騒の日々が通り過ぎるのを待った。

     そしてやがてテレビで桜の話題が消えたころ、臆病な猫のようにあたりをそろそろと

     うかがいながら久しぶりの門をくぐった。 葉桜の下、そこが私の知っていた場所と同じかどうか

     確かめながらゆるゆると歩き、やがて静かな朝へともどっていく、そういう春を繰り返した。

     だから私は、あの公園の散り始める前のたわわな満開の桜をあれ以来目にしたことがない。

     夜10時のニュース番組の夜桜中継でライトアップされた姿を見ただけだ。

     すぐそこにあるのに。 それはどんなに見事だったろうか。


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     まだ20代の初めだったころ。

     大人になった時、自然の中に立ったときにそれを壊さないようなひとになっていたいと言った

     友人がいた。 それからずいぶん長く年月が過ぎたが、彼女は都会に住んでいても

     私のように物欲に支配されることもなく、 仕事を続けながらインドに行ったりヨガなどで

     身体のメンテナンスを続けていた。 だらだらと休日を過ごすこともない。

     ここ数年は毎年長期休暇のたびに四国の遍路道を黙々とひとりで歩いているらしく

     今や私よりもずっと、私の故郷について奥深く知っている。

     そんな彼女が森の中に立つ姿を想像してみると、その姿は凛としていて、あの頃の

     あの願いはかなっているんじゃないかなぁと思う。

     私にはとても無理だろう。

     あの美しい公園にゴミを放置した人たちとそんなに変わらないほど、身体にも心にも

     余分なものがいっぱいついてしまっているだろうから。 ならばせめてそのことを忘れないで

     自然の中で、なるべく静かに邪魔することなくやっていけたらと切に願う。


     もし今住む町に桜の咲き乱れる名所と呼ばれる公園があったとしたら、それはとても

     素敵なことだろう。 でもそれと同時にこんなにも待ち焦がれている春の到来は

     私の心を少しかき乱すことになるだろう。

     その場所が、楽しみすぎるひとたちに汚されることがないだろうかといらぬ心配を

     して、花が咲く前から落ち着かない日々を過ごすことになるかもしれない。

     だが幸か不幸か桜の木は、通りすがりにふと立ち止まってそっと楽しむためだけに

     ここに一本、 そしてあそこに一本と、目立たぬようにたたずんでいるだけだ。

     見事な桜並木の下での華やかなイベントも、賑やかな宴もないけれど

     この春も心穏やかに過ごせるであろうことに、私はほっと胸をなでおろしている。
     


     

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Author:nonomon
愛媛生まれ
大阪→サンフランシスコ→東京→札幌→東京、2008年秋から岩手→2013年春、第二の故郷へ

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