風のいちにち

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おじいちゃんのあしあと 

2010.01.22

     この町の暮らしで以前までと一番違うのは、 おじいちゃんおばあちゃんが周りに多く

     いらっしゃるという点だ。

     そのせいもあるのだろうか、自分のおじいちゃんやおばあちゃんは一体どういう人たち

     だったんだろうかと時々思うことがある。

     私には、おじいちゃん、おばあちゃんの記憶がない。

     父方の祖父母と母方の祖母は、私が生まれるとうの昔に亡くなっていたし、母方の

     祖父の記憶といってもまだ幼い私をあぐらにのせた、モモヒキ姿の小さな写真を

     一枚見たことがあるだけだ。 なのに時々、この祖父のことが頭をよぎる。


ojiichan

  

     私の母は東京で生まれ育ち、結婚して四国に移り住んだ。 だから近くに母方の親戚は

     誰もおらず、長い間私にとっては母の話だけが祖父の人となりを知るすべであったの

     だが、察するに、どうやら彼は子供たちから大層嫌われていたらしい。

     そのことを私は、ごくごくまれに母が祖父のことを口にする時の、何かキタナイものを

     思い出すときにするようなしかめっつらから感じ取っていた。

     祖父について聞くことは子供ながらになにかはばかられるような気がしていたので、あえて

     詳しく聞いたことがない。 かろうじて知っていたのは、祖父は高知出身で、上京して

     家庭をもったこと、病弱な妻に5人の子供をまかせっきりで、困窮する家族を尻目に

     仕事もろくにせず、家庭の経済状態と不釣り合いな中折れ帽やぴしっとした スーツでキメて

      母曰く 「かっこばかりつけて」トランプ遊びに興じていたこと、それくらいである。

     そう。 母は、私たち兄弟が幼いころトランプ遊びをする姿を快く思っていなかった。

     それが当時の情けない父親の姿を思い出させるのだと、私に語ったことがある。 


     母にとっては恥ずべき父親であったには違いない。 それでも私にとって、 写真で

     しか知らない祖父は、ただただ遠く甘い存在だ。

     私の勝手なイメージだと断っておくが、おじいちゃんおばあちゃんというのは、孫に対する

     愛情が父母のそれとは違って無条件に愛し甘やかしてくれる、というものだ。

     遠慮して親にねだれないものも、おじいちゃんおばあちゃんはこっそり買ってくれたりする。

     しわとしみだらけのその手が、素朴なお菓子をひとつ、差し出してくれたりする。

     もし祖父母がそばに居てくれたら、私はもっと早くに、ひとには無邪気に甘えてもいいのだと

     いうことを自然に学ぶことができたのかもなぁと思う。 

     砂糖をまぶした、大きくてかたくて丸い飴玉のようなイメージ。

     実際どうなのか、確かめようがない。 だからころころといつまでも甘く、容易に壊れない。


ojiichan2

 

     だが当の家族にとっては困りものであった祖父。 家族に尊敬されるような、地に足のついた

     生活を送れなかったそんな祖父だが、私は憧れだけではなく強い親近感を覚えていた。

     私もまた、とても長い間地に足のついた生活をしていなかったからだ。 

     職場はいくつも変わったし、親が理想とする姿からかけ離れていることはわかっていた。

     経済的に自立していたとはいえ、自分の意志でひとりだけ家族から遠く離れた土地で生活して

     引っ越しも繰り返していたし、自慢ではないが家族に全く連絡しなかった時期もある。

     もともとべったりした関係ではなく、口に出すことはなかったが、家族はみんな私の

     自由奔放な行動に対して、あきらめにも似た感情を抱いていたのではないかと思う。


     実家のある四国を離れてから10回目の引っ越しで、なんの因果か祖父が眠るまさにその土地、

     東京の青山で仕事を始めた私は、ある日ふと「おじいちゃんに挨拶に行かなきゃ」 と思い立った。

     幼いころ家族で四国から上京した際一度行ったきり。 大人になってからはなんと初めての

     墓参りだ。 けれど広大な墓地の中の、その場所がどこなのか、記憶はとうにない。

     超都心で真昼間とはいえ、フェンスひとつで高層ビルや高級マンションのある世界とは

     きっぱりと隔絶された、ひと気のない墓地をひとりさまよう勇気はなく、 都内に住む叔母に

     久しぶりに連絡をして恥をしのんで案内していただいた。

     真夏の炎天下、これからは案内がなくても来れるようにきちんと覚えておかなければと

     注意深く目印になるものを頭にたたきこみながら、あみだくじの上を歩むようにたくさんの墓石の

     あいだを通りぬけて、私はようやくその場所にいきついた。

     なにもかも用意してくださった叔母と共に蚊の群れを追いやりながら草むしりをし、

     水をまき、墓石を拭いて榊を供え、私はその人の前に腰をおろし、手を合わせた。

     そして初めて、心の中で呼んでみた。

     「おじいちゃん」

     「なんでかわかんないけど、ここで仕事をすることになりました。 どうか見守ってね」

     初めて挨拶するわりには、情けないくらいなんてことない言葉しか思い浮かばなかった。

     それでも許してくれる気がしていた。

     私にとっては、あのとき骨ばったあぐらで私を包んでくれていた、まさにその人なのだ。


ojiichan3

 

     それからさらに数年が過ぎたおととしの冬。

     12回目の引っ越しで思いがけず岩手に暮らし始めた私は、その年末に県内の二戸という駅から

     JR東北本線に乗ることになっていた。 岩手から青森へ、そして青函トンネルをぬけて北海道に

     渡るためだ。 もし私が函館のとなり町出身の夫と結婚していなければ、そしてもし今のように

     JRでしか函館に行くすべがない、空港からはるか遠い場所に住んでいなければ、本州の最北を

     走るこの線に乗ることなどなかっただろう。 東北には友人知人はおろか、訪ねるべき親類縁者

     もいないのだ。


     その帰省を数日後に控えたある夜、以前祖父の墓参りにつきあってくださった東京の叔母と

     電話で話していた時のことだ。 なんとはなしに叔母が言った。

     「ああそういえば、青森に、のへじ、っていうところあるでしょ?」

     「のへじ?」

     聞いたことないなぁと思いつつ、私は壁の日本地図を見た。

     「野原の野、辺、土地の地で、の・へ・じ」

     ん? そんな名前のところあったっけな? でもなんで急にそんなこと言い出すんだろう、と

     目を凝らして地図を指でたどると、確かに私が数日後に乗るJR東北本線の青森、下北半島の

     付け根に野辺地、という名の駅があった。

     「そこにおじいちゃん、住んでたことがあるのよ」

     「えええええ~っ??」

     わけがわからない。 なんで突然おじいちゃんが登場するのか。

     ひょうたんから駒、じゃなくて、寝耳に水、でもないな、いや何でもいい、でもいったいなんで?

     祖父は上京してから亡くなるまでずっと、東京にいたと思っていた。 青森にいたことがあるなんて

     母からも聞いたことがない。


ojiichan5

 

     叔母のおぼろげな記憶によると、祖父は最初東京でミシン会社に勤めたが、その後家族を

     残して満州に渡り刀剣の会社に勤めた。 そして日本に戻ったと思ったら再び家族を東京に

     おいたまま青森の野辺地で造船会社をつくった。 しかし事業が失敗に終わったのちに

     千葉に移り、そこで終戦を迎えたらしい。 それ以降、祖父はまともに働くことはなかったと

     叔母はしめくくった。 驚くべきことに、母と母の兄弟のうちのひとりは、幼いながら二人だけで

     わざわざ遠方に住む父親に東京から会いにいったことがあるという。 初耳だ。

     いや、それにしても。

     交通が発達している今ならともかく、70年は前の話だ。

     今ならば日本は狭いが、その当時、東京から青森まで、いったいどれくらいの時間がかかったのか、

     情報を得ることさえままならない頃、なんでわざわざ野辺地という場所だったのか、

     で、なんで突然船会社?? 

     当時生きていた人たちは、戦争をはさんで誰もがみんな、波乱万丈の人生を送っていたと

     いえるだろう。 そして祖父は、突拍子もない人生を自分自身で選んでもいたのだ。

     
     私は、叔母が電話口で祖父が移り住んだ土地の名を次々と口にするにつれ、なんだか

     だんだん嬉しくなって、そしておかしくなって笑いがこみあげてきた。

     夫以外、誰も知る人がいないと思っていたこの東北の地に、かつておじいちゃんがいてくれた。

     私と同じ空気を吸っていた。 そして気がついた。 そうか、私も突然身寄りもない北海道に

     移り住んだり、また東京にもどったりしてたなぁ。 なんでって言われても、大した理由なんて

     なくて、ただそうしたかっただけ。

     あぁ、この自由奔放さ、落ち着きのなさと行き当たりばったりなところ。

     やっぱり私、おじいちゃんに似てるね。 ほとんど会ったこともないのにねぇ。

     私は上を仰ぎみて、どこかにいるであろうおじいちゃんにそう訴えた。

     おじいちゃんが、ニヤリと笑った気がした。


ojiichan6

 

     初めて目にする東北の野辺地という場所は、通り過ぎる車窓から目にする限りでは、やはり

     北東北独特の冬の色に覆われた、寒さ厳しい静かな町のようであった。

     寒かったでしょう、おじいちゃん。 雪多くてびっくりしたよね? でもほんとは、寂しかったんじゃない?

     電車はほんの少しだけその駅に止まり、そしてすぐにホームを離れていった。

     ふとおじいちゃんが待ってくれていたのか、それとも見送ってくれているのか、

     とにかく私のことを想って、ホームのどこかに居てくれるような気がした。 感傷的になりすぎていた。


     
        

     

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コメント

 

ぐっときました。それにしても岩手を含む北東北の寒々しさったらないですね。

 

ぴくるすさん いやいや、ほんとにスミマセン。笑 書いたのはいいんですけど、UPするのに
勇気要りますね、こういうのは。苦笑

 

若い頃は『繋がってきた事』の意味なんて、ちっとも考えたりしなかった。
その気の遠くなる程の可能性の低さと、今自分がここに居る事の驚くような奇跡もまるっきり当たり前だと思っていた。
お父ちゃん、お母ちゃん、お祖父ちゃん、お婆ちゃん、曾お祖父ちゃん、曾お婆ちゃん、曾曾お祖父ちゃん…みんなありがとう!
こんな子孫で申し訳ない!!(汗)
f(^_^;)

 

sumi-chan わざわざお墓参りにいかなくても、その人のことを想うだけで、むこうの世界の人は近くに来てくれて喜んでくれるというようなことを美輪さん?江原さん?がしてたことがあって、それはとてもありがたいと思っているのです。都合いいかしらん。笑

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愛媛生まれ
大阪→サンフランシスコ→東京→札幌→東京、2008年秋から岩手→2013年春、第二の故郷へ

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