風のいちにち

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ヘンダナ・センサーが振れるとき 

2012.08.10

     
     思い返せば私の 「ヘンダナ・センサー」 が最初に激しく反応したのは、まだハタチ前、大阪の

     短大に入学して最初の夏だった。 



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     四国の田舎から大都会に出たばかりの化粧もおしゃれなファッションも全く知らない私が

     最初に机を並べた地元出身の女子たちは、同年齢とは思えないほど華やかで、才色兼備

     の学生たちが多くいた反面、講義中に私語と化粧に夢中だったり、仲間内で代返の手はずを整えて

     上手く学生生活を立ち回るという女子たちも多く、まだ世間とは何であるかも知らなかった

     ウブな私は 「なんだかなぁ~」と理想と現実とのギャップに悶々とする日々を過ごしていた。

     だがそんな中でも真面目で地味で、自分となんとなく気の合いそうな同級生と偶然

     知り合いになり、 「やっぱりこういう人もいるんだな」 と安心した私は、ある日彼女からの

     誘いを受け全国各地から大学生が集まるという2泊3日の合宿に参加してみることにした。

     誘い文句が何だったのかは思い出せない。強い意志もなく、彼女が誘ってくれるなら

     間違いないだろう、見知らぬ土地で知り合いが増えればいいなくらいの軽い気持ちだったと

     思う。 それは四国に帰省直前の、木々の深い緑とセミの声が濃く響きわたる暑い夏休みのこと

     だったと記憶している。



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     京都のとある大きな寺院のような建物に全国から集まった二百名ほどの学生たちは、まず

     10人ずつのグループに分けられた。 私が振り分けられたグループのリーダーは長崎の

     大学生で、ショートヘアの少し陽に焼けたさっぱりした笑顔は見るからに聡明そうで、私は

     ひと目で彼女に好感をもった。

     だがしかし、私のヘンダナ・センサーが反応しはじめるのにそう時間はかからなかった。

     期間中はこの建物の外に出てはならない、途中離脱は許されない、最初のオリエンテーションで

     そんな説明がなされた。 外に目をやると、白いワイシャツに黒いズボンの男性が数人で

     まるで見張りをするかのように、建物をぐるりと取り囲んでに立っていた。

     そして先生らしき男性や女性の講義そしてグループごとのセッションの内容が、次第に

     外国からカクコウゲキをされないために我が国もカクヘイキをもたなければならない!

     テンノウヘイカの築き上げられたこの美しきニッポンを守るぞ!のモードになりはじめた時、

     私のヘンダナ・センサーは、コレハチョットヤバイトコキチャッタゾ警告を発し始めた。



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     沈黙の中での短い食事時間を除いて、講義やセッションは休憩をはさむこともなく延々と

     続けられた。ようやく訪れた就寝時間は午前2時。そして起床が午前5時。

     ねむくてねむくて意識朦朧としたまま、だだっぴろい畳敷きの広間のようなお堂に集まり

     全員正座で用意された経典のようなモノを意味もわからぬまま声をそろえて詠みあげて

     その都度皆で正面に向かって深く拝礼する。 見おろす大人たちにぐるりと囲まれて。 

     え?なんですかコレ。 何を詠んでるんですか私たち。 何に対して頭を下げてるんですか?

     それを問うような、問えるような雰囲気はまるでない。 あっけにとられて見ていると、

     多くの参加者たちは最初はとまどってまわりの様子をうかがっていたのだが、結果ひとり

     またひとり、最終的に全員同じ行動をとった。自分が深く頭を垂れる相手、対象がなんで

     あるのかわからぬまま、 ただ、周りと同じ行為をしなければならないという空気に押されて。

     その奇妙な波紋がじわじわと私に向かってきたとき、私のヘンダナ・センサーは一気に

     キモチワルスギーー!警告を発し、ピークを越えて針は振り切れた。 朦朧としていたとは

     いえ、私は頭を下げることができなかった。 周囲と同じ行動をとれなかった。

     実際同じほうが楽だったのだ、目立たなかった、面倒じゃなかった。

     けれど本能的に拒否した。 理屈ではなく、ただ二百人が揃いも揃って疑問も持たず

     そして周囲の大人は疑問を持たせず、私たちから自由に言葉を発する空気を遠ざけて

     全ての人に対して同じ行動をとることを強いるという、その「無言の圧力」が気持ち悪かったのだ。



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     そしていくつもの従順な後頭部をねぼけ眼でぼんやり眺める早朝を過ごした私は、当然、大人や

     グループのリーダーからも集中的に 「説得するべき対象」 となったらしかった。 今にして

     みれば大げさな気もするが、まだハタチにも満たない子供だった私は、果たしてここから生きて

     出られるのかなと恐怖すら感じた。 自分が信頼を寄せた友人や聡明なリーダーと「ある一点」

     で決定的な考え方の相違、それはどんなに説得されようが変えようのない相違を確認した私は

     これまた大げさかもしれないが、大きなクレバスに落ち込んだような気持ちになった。 彼女らは

     とても熱心にまっすぐなまなざしで子供を正しい方向に導くかのように私を悟し続け、これは
 
     不思議で今思うとものすごく気持ちの悪い心境の変化なのだが、私は彼女らの期待にこたえ

     られない自分を申し訳ないと思うようにすらなっていた。 

     リーダーとそのサブらしき女子がそんな私を励ますように 「コレをやったら必ず変わるよ!」

     と言ったその夜のイベントは、真っ暗な部屋でろうそくの火を灯し、グループでひとりずつが過去の

     自分の罪(!)を告白した紙を燃やすというものだった。人によっては涙を流しながら懺悔した。 

     残念ながら私は全く感動しなかったのだが、あまりにも周りが熱心なので申し訳なく思い、

     感動しているフリをしたりした。 もしかしたら、いやきっと他にもそういう人はいたに違いない。

     深夜すぎの就寝時間に全員が同じ部屋に布団を並べて眠るなか、奇跡的に私と

     同じセンサーを持っていたらしい女子に小さくとなりから声を掛けられて、同じ布団にもぐって

     二人コソコソと 「なんかヘンだよね~」 というような会話をしたことを覚えている。 

     そしてなんとかごまかしごまかしして無事2泊3日を終え、缶詰(監禁?)状態から解放され

     外界に無事生還してひとりになったとき、私は心の底からほっとした。 そして同時に

     とてもさびしかった。 それは生まれて初めての感情だった。

     あのひとたちとは今後もう二度と言葉を交わすことも、会うこともないだろうとわかっていた。

     優しく真面目な、友人になれると思っていた彼女と。 素敵だなと思えたリーダーと。

     そしてコソコソ話の夜を過ごした、誰かとも。


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     私の両親は、いつどの時点で私にこのヘンダナ・センサーを植え付けたのかと思う。

     九州出身の亡父は、生後まもなく父親を戦争で失っている。苦学生として過ごし、18歳で

     就職し、ようやくこれから母親に親孝行をと思った時、母親を病気で亡くしている。

     東京で生まれ育った私の母も戦争を経験し、私や兄姉は幼いときから両親から戦争体験の

     話を聞いている。 「欲しがりません勝つまでは」「天皇陛下万歳」そういうスローガンのもと、

     そうすることが日本人として正しい姿であり誇りであると教えられて人々は招集され

     戦地に赴き死んでいったこと。少数の、異を唱える者は非国民とされたこと。 

     戦争中は「鬼畜米英」だったのに、敗戦し国の方針転換が行われると、それまでの教育が

     がらりと変わったこと。 けれどそれらの話は私や兄姉が成長するにつれ、次第にうんざりとした

     なるべく聞きたくない気の重い話となって脇に追いやられ、社会人になってからは自ら進んで

     両親に当時のことを聞こうとはしなかった。

     もし今父が生きていたら聞いてみたい。 お父さん、今このときをどう思う?と。


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     その後長い間、社会にでてからも私のセンサーはときどき小さく振れることはあっても

     大きな反応を示すことはなかった。 ほんとうに長い間。

     だがこの数ヶ月間、大きく振れている。 暴れていると言ってもいい。 正直言って、面倒だ。

     いちいち反応しないで私を周りと同化させてよと思う。 そのほうが楽だ。楽がいい、楽が好き

     なんだよ私は。 でもでもやっぱりひっかかってしまう、このセンサーに。嗚呼。

     がんばろう日本!がんばろう東北!食べて応援!負けない!復興!絆!

     一連のキャッチコピー。 それらはその現場にいる多くの傷ついた人たちの口から絞り出される

     ようにして発せられたものではない。 いつのまにか与えられ、いつのまにか取り囲まれている。

     ひねくれ者の私は、事が起きれば真っ先に情報を得て最も早く危険からのがれることが

     できるであろう政治家やメディアや文化人、絶対的な権力をもつ側からの私たちへの

     無言の圧力のように感じてしまう。 疑問をもつな、これが日本人として絶対的に正しいのだからと。

     そしてその無言の圧力は、画面の向こうのニュースキャスター、芸能人、タレント

     ローカルメディアを通じてこちら側にも浸透する。 そうして私は食品売り場のソーセージや

     食パンからさえ、「がんばろう!」と励まされるのである。 そんな励まし、いらないよ。

     そしてそれら励ましの濃度は、この北東北の山間の町よりも南下して福島に近づくにつれ

     より高くなるという印象を私は抱いている。 そして不思議なことにというか、逆に当然の

     成り行きなのかもしれないけれど、それらキャンペーンの意図するところにはそぐわない

     少数派が発する情報に対して 「がんばっている人を批判するようなことばかり言って迷惑」 という

     言葉が同じ内側から投げかけられたりする。
 
     こんな批判も目にしたことがある。

     「そんなに行政に文句があるなら、この国から出ていけばいい」。 けれどそういう人に限って

     外からの意見に対しては 「外野が偉そうなことを言うな」 なのだ。 とどのつまりそれは

     「黙っていろ」ということだ。


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     学生時代の夏に体験したあの場の空気、それを私は今、数十年ぶりに思い出している。

     多少の違和感があっても周囲と同じにしていたほうがいい、自分の不安や率直な考えなど

     口にしないほうがいい。 なぜならそれは和を乱すから。 危険を煽るから。 風評被害に

     つながるから。 復興の足かせになるから。 周りと同じでいろ、波風たてるな。

     それを 「同調圧力」 という。今回学んだことだ。

     そう、私のヘンダナ・センサーはいつだって、そういう 「周囲と同じでなくてはならない」

     「こうあるべき」 そんな絶対的多数からの無言の圧力に対してひどく拒否反応を示すのだ。

     そのセンサーを(幸か不幸か)持ってしまった人たちにとって、これからは特に、生きていく

     ことは楽ではないだろう。 持っていなければどうだということではない。 どちらがいいとか

     悪いとかそんなことではない。 ただ私にはどうしようもなく感度の高いヘンダナ・センサーがあって、

     近頃それを持て余していて、それはとっても面倒でうっとおしいものなのだけれど、

     それを植え付けてくれた両親には感謝している。

     ただそれだけの話である。
     


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     ※ 写真は今年1月に帰省した際に訪問したコチラ →  伊丹十三記念館 (愛媛県松山市)

     もし生きておられたら、伊丹氏とその父上であられる万作氏は今なにをどのように表現された

     だろうという思いが浮かんでは消える今日この頃。


     

     

     
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コメント

 

吸い込まれるように読みました…

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aji さん

読んでくださってありがとうございました。

優秀なセンサーだわ 

学生の頃に体験させられたヒドイ事も、今回のことも、その仕掛け人はどこかにちゃんと居て、冷静に仕込んでいるように思えます。
きっと人々の半数(?)は空気を読んで楽な方に流れていくのでしょう。時間が過ぎ去るまで・・・。
私もそういうところがあるやも知れず・・・、苦し紛れのうめき声ぐらい上げなければと思いました。
そして人は弱いからこそ、本質を見ないといけないと思いました。
そうでないと、巻き込まれ、死の淵へと流されてしまう。
これを読ませてもらって、「同調圧力」の強さに恐怖を感じました。

 

yoshimi さん

こんにちは。
今となってはなんでしょうが、そんなにヒドイこととは思えないんですよねー。 ま、ヒドイですが。笑
なんでしょう、とじこめられたことよりも、とっても立派で尊敬できる人(好きになりかけた人)とも、
決定的にわかりあえないことが人生においてはあるんだっていうその、なんとも言えない喪失感?の
ようなものを今よりもびんびん感受性が高かった年齢で経験したのは、大きかったと思います。

それは、議論をつくしても、無理なことなんだなぁと。
相手の心情や主張を、少しでも理解しようとする姿勢はいつも忘れたくないと思っていますが。
そういうのには流されたほうがいいんだよ、大したことじゃないという方もおられると感じてますが
たとえば私の場合、仕事とかでは全然かまわないんですね、周囲と協調して同じ目標にむかう
ために自我を抑えるというのは当たり前のこと。不本意なことっていっぱいあるし、やってきたし。

でもどうしてもそうしたくないときってある。それは自分が選ぶことだから仕方ない。
それで他者を否定するつもりはないんです。自分だって100%正しいとは思ってないし、思いたくない。
その人にとっては、同調することは、生きていくのにどうしても必要なのかもしれないし。
yoshimi さんのおっしゃるように、苦し紛れの、というのよくわかります。
私も、ちょっとくらいは(小心者なので声だせないかも)音くらい、だしたいかな。





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愛媛生まれ
大阪→サンフランシスコ→東京→札幌→東京、2008年秋から岩手→2013年春、第二の故郷へ

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